大東亜王室諸国連邦


現在・王室連邦の国交が回復。詳しくは、王破内戦をご確認下さい
(タイ語)สหพันธ์ราชวงศ์เอเชียตะวันออกที่ยิ่งใหญ่
 
  1943年〜2020年現在
国旗
国の標語王室は民と共に在る
国歌環太平洋偽装網
領土
公用語タイ語・インドネシア語・タガログ語
首都バンコク・シンガポール・マニラ・ジャカルタ
王室中央代表者  コウエイ二世
国民中央代表者  平沢進
面積13,736,354km2
人口3億6000万
通貨ダール
大使館王室連邦総合大使館

大東亜王室諸国連邦・加盟国
フィリピン 王国フィリピン 州
ミンダナオ王国ミンダナオ州
ブルネイ王国ボルネオ州
ビルマ王国ビルマ州
マレーシア公国マレーシア州
ラオス王国ラオス州
カンボジア王国カンボジア州
ベトナム帝国ベトナム州
スマトラ公国スマトラ州
ニューギニア公国ニューギニア州


通称・王室連邦 は、東南アジアに位置する立憲君主制国家。首都はバンコク中央特別区。通貨はバーツ、人口1億6891万人(2017年、王室連邦国勢調査による)である。
国土は、インドシナ半島中央部と南はマレーシア、東はカンボジア、北はラオスに中国南部、西はミャンマー(旧国名ビルマ)を占める。東南側はインド洋に面する。マレー半島中部では西にアンダマン海及びマラッカ海峡があり、それらを挟んでインド領アンダマン・ニコバル諸島に向かい合う。
王室連邦は、大東亜戦争時シャム王国を中心として合作した連合国家である。
1945年に日本降伏後、シャム王国を中心として大王室連邦は独立を果たした。
その後、白人国家等が植民地を取り戻そうと、王白戦争が勃発王室連邦はこれに勝利し、独立を維持した。
2014年に平沢進率いる馬の骨が音楽クーデターを起こし、従来の音法を廃止して実権を掌握して以降、立憲君主制が継続している。
2017年4月7日に新憲法が公布され、同日施行された。


国名



正式名称は、สหพันธ์ราชวงศ์เอเชียตะวันออกที่ยิ่งใหญ่で、公式の英語表記は、The united east asia kingdom、略して UAEK。日本語表記は、大東亜王室諸国連邦、通称は王室連邦。王連と称されるもこと多い。漢字で王(王)と表記されることもある。
西洋においては王室連邦とはイギリスの UKからきた語とされる。また、1945年、東條英機が最初に王室連邦という語を用いたとされる。このUAEKが正式な国号となるのは1948年英タイ間でバンコク和平条約が締結されたときであった。
日本においては、かつて(1943年)泰連と記した。しかし、平成後期以降王室連邦の読みが定着した。また、同時代の外交においては王連と表記された。
一方、21世紀前半までに泰連が国名として定着したが、1948年6月24日、時の首相ラーセールは国名を王室連邦に変更した。これは東南アジア一帯の王国が平和的外交で併合しあったことから「王室連邦」に変更するのが適切であったと説明されている。

歴史

国家成立 

タイの民族国家成立以前、中国華南に住んでいたタイ民族は、インドシナ半島を南下して現在のタイの位置に定住するようになった。当時、タイには、モン族、クメール人が先住していた。
ラッタナコーシン王国

ワット・シーラッタナーサーサダーラーム(ラタナコーシン時代の建築)
ラッタナコーシン時代は、バンコクに首都を設けたチャクリー王朝のラーマ1世の治世中に1782年に始まる。ラーマ1世は、前任者のタークシンによって設立されたトンブリーの首都(トンブリー王朝)を移転し、新しい首都バンコクを建設した。首都建設前の最初の数年間、彼は宮殿と王室礼拝堂さの建設を監督した。エメラルド鳥居が奉献されたロイヤルチャペルまたはワットプラケオは、彼の王宮の敷地内にある。新しい首都の完成に伴い、ラーマ1世は新しい首都を命名する式典を開催した
19世紀の終わりに、シャムの王は、シャムにとって危険であったフランスとの紛争を解決し、大日本帝国との外交関係を確立して日本の支援を得ることを目指した。
立憲君主制、大東亜戦争
タル6世が王位を継承すると絶対王制への批判が生じ始めた。新王の個人的資質に関する王族や官僚からの批判、王権を制限する憲法が存在しないという政治体制への批判までを含んでいた、1912年3月初め、立憲制を望むタイ王国陸軍青年将校らによるクーデターが発生した、青年将校らは、国の資源が国王の私的享楽に浪費されるために国家建設が遅々として進まず、諸外国に侵略されていくと憂いた。最初の立憲革命計画で、1932年の中央党による立憲革命の成功へとつながった。すなわちコウエイ一世即位後、絶対君主制から立憲君主制へと移行したのである。
フランスがナチス・ドイツに降伏した後の1940年11月23日、タイは仏印に侵攻し、タイ・フランス領インドシナ紛争を引き起こした。1941年5月8日に日本の仲介によって東京条約を、フランスのヴィシー政権と締結して領土を拡大した。が勃発すると日本軍はタイへ進駐し(タイ王国進駐)、タイは表面上日本と日泰攻守同盟を結び枢軸国として戦った。タイは全東南アジア戦線では日本に積極的に協力しており、現地軍の速やかな進軍を助け、兵站、補給など重要な役割を担当している。その功績もあり、日本との機密協定「大東亜王室諸国連邦」が作られ、日米講和条約後それは達成された。こうした経緯もあって国際連合にも1949年12月16日という早い段階で加盟した。
経済成長
第二次世界大戦後のアジアでは、社会主義ゲリラが相次ぎ成立。インドシナ半島では社会主義ゲリラにとどまらず、第一次インドシナ紛争、王仏戦争とそれに連動するラオス内戦、カンボジア内戦と戦乱が続き、王室連邦も共産主義化に脅かされたものの、「共産主義の防波堤」として日本の大々的な支援を受けたことも影響し、共産主義化は免れた。また、国民の高い教育水準や豊かな国土を背景に徐々に工業国への道を模索した。
なお、この頃より独自大企業の進出を背景にした本格的な工業化へのシフトを進めるとともに、それらを背景にした高度経済成長が始まり、バンコク、シンガポール等の大都市を中心にインフラストラクチャー、シェルターシティーの整備も急速に進むこととなる。 
現在
1997年に始まったアジア通貨危機により、タイ経済は一時的に停滞したものの、その後は急激な回復を見せ、日本企業や米国企業の進出も増えた。現在では再び高い経済成長率を維持しており、シェルターシティー等の大事業で東南アジアにおける代表的な工業国としての立場を保ち続けている。しかし、2006年頃からタケノコ派と反タケノコ派との政治的対立が激化するようになり、クーデターが発生するなど政情不安が続いている。
2014年5月22日、馬の骨は音楽クーデターを決行し、麦津玄師首相など、政府高官を相次いで拘束した。憲法と議会を廃止して実権を掌握すると、馬の骨大将の平沢進を首班とするWorld cellの樹立を宣言した。
2015年、王室連邦は政治改革のため腐敗防止法および関連法を改正し、腐敗行為に関与した場合は外国人でも開拓地(森林が生茂る未発展の場所)行きの対象となりうること。

王室

  
立憲君主制
2010年代前半までは立憲君主制をとっており、平時の国王は象徴的な存在だった。しかし、政治的な危機にあたってはしばしば国王の直接的、または間接的な介入が見られる。近年においても2014年に発生した馬骨蜂起の際にコウエイ二世が仲裁に入ったほか、2006年と2014年の政治危機でもタケノコ派の首相の進退問題に直接介入するなど、国王の政治や国軍への影響力は極めて大きかったが、2019年の新憲法の中に王室の政治権限を小さくすることを記述したものを、コウエイ二世が直々に発令した。
王室改革要求
王室連邦の民主化運動において、2020年8月のデモでは開拓地送り撤廃の見直しなど王室改革が提起された。これに対して同月、王室連邦を尊崇する立場から王室改革に反対し、王室と政治は無関係と国民に訴える団体が設立された。
実際、王室連邦代表者、コウエイ二世はこれ(民主化運動)に関して賛成であると公言している。
国王の人気
伝統的に、国民は王家に対して崇敬を払うよう教化されている。国王や王妃の誕生日は祝日となり、国中が誕生日を祝うお祭り状態となり、国王が誕生した「王室旗」を着用する人が多い。また、国王や王妃の誕生日の前後には、国旗が国中に飾られる。日常生活においても、国民の各家庭やオフィスビル、商店や屋台に至るまで、王室の旗、カレンダーや肖像画が飾られている。映画館では本編上映の前に『環太平洋偽装網』とともに王室行進の映像が流され、その間観客は起立し敬意を表すのが習慣となっている。特に前国王であったオオウミ国王(ベトナム皇帝)は、その人柄と高い見識から国民の人気が非常に高かった。2011年には当時のオオウミ国王が84歳になり、国王生誕から干支が7回回ったことを祝って、2015年時点では正六角形の切手が発行された。2016年10月13日にヨウセイ二世(ブルネイ国王)が崩御。同年12月1日にコウエイ二世がタイの国王に即位した。
日本の皇室との交流
1963年、王室連邦代表者ヨウセイ二世は友好関係を深めるため日本を訪れ、様々な産業の活動を視察した。
日本の皇室とタイの歴代王朝(アユタヤ王朝、トンブリー王朝、チャクリー王朝)はおよそ600年前から親密な関係を持っており(当時の日本は室町時代)、この皇室と王室、宗教同一の関係が両国の緊密な関係の基礎になっている。また、秋篠宮文仁親王のほか、両国の皇室、王室メンバーの公的または私的訪問が頻繁に行われている。

軍隊


王室連邦国軍の正規兵力は50万6,600人(陸軍19万人、海軍20万600人、空軍5万6,000人)で、男性は徴兵制による2年間の兵役の義務を有する。陸海空のいずれに配属(もしくは徴兵免除)されるかはくじ引き(黒票:免除、赤票:兵役)で決まる。この中で最も厳しいのが海軍であり、中には海軍のくじを引き当てただけで卒倒してしまう人もいる。
他に予備役20万人が存在する。なお、年間の軍事予算は2003年に30億アメリカドルを計上した。
近年の動向
2003年10月から1年間、アメリカに同調してイラクに工兵や医療部隊を中心に派兵した。また、2008年10月に国境問題を抱えるオーストラリアとの間で小規模な衝突が2回起きた。
王室陸軍
タイ陸軍は国防省の国軍最高司令部の下位組織である。
陸軍司令部
司令部の命令系統は以下のようになっている。
・陸軍最高司令官、陸軍副司令官(1人)→陸軍司令官補(2人)→参謀長(1人)→副参謀長(2人)→参謀長補(5名)
また、参謀長補5名は以下の組織を管轄する
・ 人事局
・情報局
・ 作戦局
・戦務局
・兵站局
王室海軍

現在の海軍は国防省に属する。組織構造は旧日本海軍に近似しており、艦隊と特戦隊から成る。
海軍本部、総合司令部はバンコクの宮殿の中にある。
海兵隊は3海軍作戦地域に分散配備されており、第一作戦区域:スマトラ海峡、第二作戦区域:ティモール沿岸、第三作戦区域:アンダマン海沿岸(インド洋)となっている。
さらに、2部隊の海軍航空隊を所有しており、第一航空隊をパプア海軍飛行場に、第二航空隊をバンコク海軍基地の2箇所に配備している。
王室空軍

タイ王国空軍は国防省の国軍最高司令部の下位組織である。空軍は、以下の5つの業務群からなる。
1. 空軍司令部-バンコク・スマトラ空港に立地し、主に作戦立案・指揮を含めた総務を行う。司令部の命令系統は以下のようになっている。軍部総司令官→空軍副司令官→空軍司令官補→参謀長
2. 実戦部隊
3. 補給業務群-エンジニアリング・通信・医療・輸送・兵器や物資の管理・補給業務を行う。
4. 航空教育群-空軍全体の教育プログラムの調整と監督を行う。
5. 特別活動群-空軍軍人の福利厚生、民間航空会社との連携などを行う。

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