アンマン(アラビア語:عمان 英語:Amman)はアラビア・スルターン国の首都であり、王宮の所在地である。
アンマン

アンマン市街の様子
地図

市旗
人口3,728,346人
面積700km2
所属する地方区分アラビア・スルターン国/ヨルダン州/アンマン県

概要

人口は約370万人(2018年国勢調査)。近代的なビルの立ち並ぶ近代都市である一方、昔ながらの市場のある旧市街のダウンタウンを持つ。ヨルダン川に近く、特にイエスが洗礼を受けたとされるワディ・ハラールまでは車で45分ほどであるため、キリスト教徒の観光客も多い。

地理

アンマンはヨルダン北西の丘の多い地域に位置している。街はもともと7つの丘の上に建設されたが、現在では周囲の他の丘の上にまで拡大している。この丘をジャバルと呼ぶ。

産業

食品、中小規模の加工業、建設業、銀行業、保険、貿易、観光業、宿泊業(ホテル)などが主要である。

観光

アンマンの観光地は主に旧市街に存在している。ジャバル・アンマンという丘の東に行けば旧来の町並みや生活、大きなスーク、古代の遺跡、博物館などを見ることができる。ジャバル・アル=カラーの丘にはアンマンの城塞やヘラクレス神殿が位置している。当時のフィラデルフィアはローマに似ているとされ、ローマ劇場などが造られた。


アンマンには多くのモスクが存在している。フセイニ・モスクは1923年に建てられ、アンマン最古のモスクの一つである。新しいものでは、キング・アブドッラー1世モスクがあり、真っ青なモザイクの屋根が特徴である。ジャバル・アシュラフィエの上にあるアブー・ダルウィーシュ・モスクは白黒のチェックのパターンという異様な外見である。

歴史

ローマ時代

もともとこの都市はフィラデルフィアと呼ばれ、ローマの都市として栄えた。しかし度重なる地震と戦乱により衰退していった。

近代

19世紀、ロシア帝国による弾圧から逃れてきたチェルケス人がフィラデルフィアの廃墟の近傍に住み始めたことで歴史に再び登場する。1900年、オスマン帝国によるヒジャーズ鉄道の建設が始まるとアンマンに大きな鉄道駅が建設されることになり周囲や沿線の物資の集散地として浮上した。1921年にイギリスの委任統治領トランスヨルダンが成立すると政府がアンマンに置かれることになる。それでも当時はサルトがトランスヨルダンの中心地であり、アンマンは発展していなかった。そのため当初は駅を王宮に、列車を政府庁舎代わりに使っていた。

現代

ヨルダンが独立した後も、2万人ほどしか人口がいなかった。しかし、イスラエルを巡った混乱の中パレスチナ人難民がアンマンに押し寄せたことで人口は急増し、現在のような大都市へと発展した。アラビア・スルターン国の成立によってスルターンの王宮の位置するアンマンが首都に選ばれた。政治の中心、交通の中心としてさらなる発展を遂げている。

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