ソビエト社会主義共和国連邦
Союз Советских Социалистических Республик


国旗

国の標語:Пролетарии всех стран, соединяйтесь!
国歌:Государственный гимн СССР


公用語ロシア語
首都モスクワ
最大の都市サンクトペテルブルク
最高指導者
エヴスターヒイ・マトゥリン
面積
総計 約2000万km2
人口
総計 約3億人
GDP
4.658兆USD
成立10月革命 1917年11月7日
宣言 1922年12月30日
承認 1924年2月1日
通貨ソビエト連邦ルーブル
時間帯UTC +2 - +13(DST: なし)
ISO 3166-1USSR/SU
ccTLD.su
国際電話番号7

概要

ソビエト社会主義共和国連邦(ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう、ロシア語: Союз Советских Социалистических Республик(СССР[エスエスエスエル]))、通称ソビエト連邦またはソ連は、マルクス・レーニン主義を掲げたソビエト連邦共産党による一党制の社会主義国家であり、ユーラシア大陸における共和制国家である。複数のソビエト共和国により連邦国家が形成された。首都はモスクワ。

「1991年改革」によって中央計画経済から市場経済への移行を始め、「社会主義市場経済」と呼ばれる独自の混合経済に改革した。この改革によって国内の貧困率は大幅に改善された。また、改革後すぐにウランの生産量が4倍以上に膨れた事でソ連の経済がもち直された一方、これ以降ウランを含めた豊富な天然資源の輸出に頼る経済が定着化しており、改革前よりも重工業などの産業分野は衰えた。

国名

ロシア語表記の正式名称は「Союз Советских Социалистических Республик」。

通称は Сове́тский Сою́зで、国歌の歌詞にも使用されている。略称は СССР、またはラテン文字でSSSRとなるが、これは正式名称を音訳すると「Soyuz Sovietskikh Sotsialisticheskikh Respublik」となるためである。

日本語表記ではソビエト社会主義共和国連邦が用いられる。通称はソビエト連邦(「ソビエト」は「蘇維埃」、「ソヴィエト」「ソヴィエット」「ソヴェト」「ソヴエト」「ソヴェート」より原語に近付けて「サヴィェート」とも)。略称はソ連邦、ソ連、または単にソビエトやソヴィエトともする。漢字では蘇聯邦、蘇聯などと表記され、蘇と略される。

「ソビエト」(露: Совет)は「評議会」の意味を持つ。

歴史

ロシア革命

ペトログラードのデモに端を発する1917年3月12日(ユリウス暦2月)の2月革命後、漸進的な改革を志向する臨時政府が成立していたが、第一次世界大戦でのドイツ軍との戦線は既に破綻しており国内の政治的混乱にも収拾の目処は付いていなかった。

同年8月にラーヴル・コルニーロフ将軍による反乱が失敗した後、ボリシェヴィキに対する支持が高まった。そこでボリシェヴィキは武装蜂起の方針を決め、同年11月7日(ユリウス暦10月25日)に権力を奪取した(十月革命)。この11月7日が、ロシア革命記念日である。同日には最初のソビエト大会が開催され、ソビエトによる体制の成立と、政府である人民委員会議が成立した。首相にあたる議長にはウラジーミル・レーニン、外務人民委員にはレフ・トロツキー、民族問題人民委員にヨシフ・スターリンが就任している。ソビエト政権はモスクワ近郊を制圧し、11月10日には左派社会革命党を政権に取り込んだ。1918年1月10日からは第三回全国ソビエト会議が開催され、ロシアが労働者・兵士・農民のソビエトの共和国であると宣言され、連邦制をとるとした宣言が採択された(ロシア社会主義連邦ソビエト共和国)。

ボリシェヴィキは1919年に「共産党」と改称した。ドイツ帝国とはブレスト=リトフスク条約によって講和したものの、連合国によるシベリア出兵の干渉戦争や、白軍とのロシア内戦に対処することになった。一方でウクライナ人民共和国やアゼルバイジャンのバクー・コミューンなどのソビエト政権が各地で次々に成立した。この各政権は独立国であったが、ロシア・ソビエト政府の一部であると自らを定義することもあった。

経済政策では、内戦中に戦時共産主義を導入したが、これは農業と工業の崩壊を招き、数百万人の餓死者を出した。1921年よりネップ(新経済政策)が導入され、経済はようやく持ち直した。

政治

間接代表制を拒否し、労働者の組織「ソビエト」(協議会、評議会)が各職場の最下位単位から最高議決単位(最高ソビエト)まで組織されることで国家が構成されていた。

ただし、半世紀にわたってこうしたソビエト制度が有効に機能した事はなく、実際にはソビエトの最小単位から最高単位まで全てに浸透した私的組織(非・国家組織)であるソビエト連邦共産党が全てのソビエトを支配しており、事実上、一党独裁制の国家となっていた。この一党体制はゴルバチョフ政権で他の政党が認められた事で複数政党制となるが、共産党の議席数が圧倒的に多く事実上のヘゲモニー体制となっている。

軍事

冷戦期はアメリカ合衆国を筆頭とする西側諸国への対抗上、核兵器や核兵器を搭載可能な超音速爆撃機、ICBM(大陸間弾道ミサイル)や大陸間弾道ミサイルを搭載可能な原子力潜水艦、超音速戦闘機や戦車などを配備し、強力な軍事力を保持していた。

1960年代に入り、東西間で核開発競争が過激化する中でソ連は超大型水素爆弾、AN602を製造する。通称「ツァーリ・ボンバ」と呼ばれるこの水素爆弾は広島型原爆の約3300倍の威力と言われ、第二次世界大戦中に全世界で使われた総爆薬量の約10倍の威力とも言われる単一兵器としては人類史上最大の威力を有していた。この時期にソ連が運用を開始した自動報復システムは、ひとつの些細な判断ミスでも世界規模の核戦争を引き起こしかねないことから「滅亡装置(Doomsday device)」と呼ばれた。その危険性を示す実例として、1983年に監視システムのコンピュータが核ミサイル発射を誤報した事件がある。

しかし、こうした強力な軍事力の維持は軍事費の増大をもたらして国家予算を圧迫し、その分、民生向けのインフラや流通システムなどの整備に遅れをきたし、結果的に国民経済を疲弊させた。エリツィン時代に軍備再検討を行い、ソ連の軍備は縮小されたものの、核開発においてはむしろ前よりも莫大な資金を投じている。

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